四季の風sikinokaze

Saturday, March 26, 2011

また 雪






 3月27日 今日は日曜日 今朝起きて外を見て目を疑った。雪 それも結構積もってる。
昨日 車の12ヶ月点検に行ったので 冬タイヤ ワイパーを交換して来たばかり。
 買い物に行かないで震災地に想いを馳せて あるもので食事をする。
 雪が降っている中 すずめ達が庭の木に来ている いつもよりも頻繁に来る。枝の下で休んでいるのもいる。雪だとえさが取れないので えさ台にお米をまいてやった えさ台にも雪が降ってくるが ちょっと小降りになった時に食べていた。
 
 冬に庭は雪におおわれてしまうので、気がつくのが遅かったが サンルームの小さなプランターにまいた小松菜が 大分育って来た。雪だけで無く放射能の問題も出てきたので 屋内の野菜の成長は嬉しい。

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大震災






 東北関東を襲った地震と津波はさらに福島にある原子力発電所の事故を誘発した。事故のようすがはっきり分からないが 次々にいろいろな事象が出て来ている。自衛隊と消防 消防は先進的な機能をもつ東京などから行って必死の消火活動が行われている。地震 津波も実に大変な災害で人々は苦しんでいるのに 放射線という見えないものが襲いかかってきている。これは地震の被害を受けた所のみならず 風に乗って気流に乗ってどこまで拡散するかも分からないので
怖い。なるべく外に出ないようにして出るときは 帽子 マスク 上着 肌を露出しないようにとの注意がでている。せっかく散歩ができるようになったのに この状況は残念。

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ソウル 3






 ソウルの朝 ちょうど部屋の窓から朝日が見える。
 中心街に行く時ホテルの隣の建物を通って地下鉄に乗る。ちょうど結婚式があった。日本は結婚式には花輪は贈らないが ここでは友人知人からの花輪が飾ってあった。
 焼き肉は食べないので 今日は特別にガイドブックにあった 「ふぐ」屋さんに行った。通りを入った所で迷っていると 「そこだよ」と日本語で教えてくれるおばさんが居た。どことも聞かないでいきなりだったが、多分 結構日本人が来て迷っているのにであうのだろう。
 いろいろな突き出しが出た。フグ皮とセリサラダは珍しくおいしかった。日本ではやらないが
まるで焼き肉のようにフグの切り身を焼いたメニューがありおいしかった。

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Monday, March 21, 2011

ソウル2




 仁川空港はハブ空港になっていて立派な建物。空港で携帯電話を借りて バスの切符を買って。バスでホテルまで行くことにした、バスは埋め立て地のような所を通って市街地に行く。空港を出てから河口近くの山には雪があったが道路には無かったのでホッとした。バスの便は良くて ホテルを回りながら行くリムジンバス。1時間位でホテルに着いた運転手さんも親切だった。

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韓国 ソウル行き





 2月の連休の事 お父さんが仕事でソウルに行く事になったので、一緒に行こうという。もちろん経費自分持ち。この時期 ここではいろいろな雪祭りがあって 撮影に行きたいと思っていたけれど 韓国には行った事が無かったので 行く事にした。
 海のすぐ近くにある新潟空港から出発したが、空港に行くまでの道中雪はほんの少し降っていただけなので 助かった。成田に行くよりも近くて便利。家を4時頃出て9時半のフライトに乗り2時間半くらいで仁川空港に着いた。ジンちゃんの母国 韓国についたよ〜。 空港ロビーマユちゃん位の子がいた。「マユちゃん もう行くよ」と思わず言いそうになった。

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雪の日の事


 大雪が降っていた時の写真 家の前にサンルームを作ったが 床がかなり高く。床下が開いている。床下には雪に埋まらないように植物を植えた鉢やプランターなどが置いてある。ある日
カーポートの方から床下に向かって足跡がついていた。犬とも違う もしかしたら 河原にいるという狸かもしれないね、などと想像した。雪が溶けた今ではのぞいても何もいない。
なんだったんだろう??

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Wednesday, March 16, 2011

大地震




 11日美容院から帰って来て一休みしていたら 横揺れが来た 外に通じるドアーを開けたが
ほどなくして 大きな揺れは納まった。がそれから何度も余震がきた。テレビをつけて驚いたものすごい津波の災害 火災も起きている。自分の身体も余震があるので船酔い状態になる 今は揺れていない しっかりと自分に言い聞かせる。被害に遭われた人たちには本当に言いようがない辛さ。津波の恐ろしさがまざまざと分かった。夜中 すぐ飛び出せるような格好で眠っていたら また凄いゆれ。今度は山向こうの長野県が震源地。15日には静岡県の富士宮 これは最初山梨県が震源地といっていた。何百キロのプレートが動いたので 内陸もいろいろ影響をうけるのだろう。しばらく放っておいた状態の非常持ち出しのリュックを点検。非常食用におにぎりパックなどを詰めた。電池の入らない懐中電灯やラジオも手元に。停電のニュースにろうそくをさがしたが、ずっと持っていたのは 無くなっていた。やっとお霊神様の所に般若心経を書いたろうそくが有るのを思い出した。犠牲になられた方のご冥福をただ祈るのみ。避難所の人々はは大変な時を頑張って生き抜いてもらいたい。救援も早く。写真下:雲のように見えるのは津波 写真上:の家はずっと左の方から流されて来た 左の下の方には高台に必死で逃げて来る人が見える。 恐ろしい。

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